【防府市】英雲荘(三田尻御茶屋)の基本情報・アクセス・写真
本記事では山口県防府市にある「英雲荘(三田尻御茶屋)」について紹介しています。所在地や写真、アクセス方法などの情報をわかりやすくまとめているので、ぜひ参考にしてください。
英雲荘の概要・写真情報
「英雲荘(三田尻御茶屋)」は、山口県防府市お茶屋町にある萩往還関連遺跡です。一般公開されており、どなたでも観覧できます。
史跡を活用した取り組みを行っており、過去には「観月会(お月見をする催し)」や「ライトアップ」「音楽コンサート」「周辺地域の学生とのコラボ企画」などが開催されたことがあります。
※イベントや夜間公開については、英雲荘のInstagramをチェックしてみてください。
※文化や芸術に関するイベント開催(貸館)については、防府市のホームページをご覧ください。
英雲荘の起源について
建てられた目的
英雲荘が建てられた背景には、徳川幕府時代の制度「参勤交代」があります。この制度のもと諸大名は、1年おきに江戸で暮らす必要がありました。
それは、江戸から遠く離れた萩(長州)の大名である毛利家も同様です。萩城を拠点とした毛利家は江戸に参府する際、全長およそ53キロメートルの街道(萩往還)を使い、防府の三田尻まで移動し、海路で大阪まで向かい、大阪からは陸路で江戸に向かっていました。
この旅路で利用する公館として、1654年に萩藩2代藩主 毛利綱広(もうり つなひろ)により、建てられたのが「三田尻御茶屋」です。
【防長二州の御茶屋】
毛利藩が治めた防長二州(周防国と長門国)には、17の御茶屋が建てられていたことがわかっており、藩主が領内を巡検する際の宿舎として使用されました。三田尻御茶屋も参勤交代のためだけの施設ではなく、領内巡検の宿舎としても使用されました。
規模や間取りの変遷
三田尻御茶屋は、現在に至るまで数度の改修が行われ、その規模や間取りは様々な変遷をたどってきました。1776年には、7代藩主毛利重就(しげなり/しげたか)により、隠居場として住居部分を増築する工事が開始され、1783年に完了しています。
このころ、三田尻御茶屋は「三田尻御殿」と呼ばれ、重就や家族が暮らす場となりました。しかし1789年に重就が死去し、翌年には三田尻御殿の名称が廃止され、建物の多くが解体されました。
1851年、13代藩主 毛利敬親(たかちか/よしちか)により、大規模な改修が行われ現在の形に近くなります。
現在に至るまで
参勤交代で大名の宿泊所として活躍した全国の「大名茶屋」は、1868年に封建制度が廃止されて以降、その役割がなくなり、売却・解体されていきました。1869年、三田尻御茶屋も解体計画が発表されますが、地元住民の願いにより存続が決定します。
また、体が弱かった毛利元昭(もうり もとあきら)が、防府の温暖な気候が良いという医師からの助言を受け、療養のために暮らしていたことも三田尻御茶屋が残された理由の1つです。以降は毛利家の「三田尻別邸」として使用されました。
その後、1939年に三田尻御茶屋(三田尻別邸)は、防府市に寄贈され、1941年に「英雲荘」と改名されます。英雲荘という命名は、御茶屋と防府に縁の深かった7代藩主毛利重就(しげなり/しげたか)の法名に由来します。
英雲荘の基本情報
英雲荘の住所や連絡先などの基本情報を掲載しています。
項目 | 内容 |
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名前 | 英雲荘(三田尻御茶屋) |
観覧時間 | 9時30分~16時30分(入場は16時00分まで) |
休館日 | 月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日) 12月29日~1月3日 |
観覧料 | 大人:310円(団体20名以上:250円) 小中学生:150円(団体20名以上:120円) ※未就学児は無料 ※障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳の交付を受けた方および付添いの方1名は無料 |
所在地 | 〒747-0819 山口県防府市お茶屋町10-21 |
問い合わせ先 | 0835-23-7276 |
駐車場 | あり |
英雲荘のアクセス・MAP情報
英雲荘の周辺スポット
英雲荘の周辺には以下のようなスポットがあります。
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